宮城県亘理町でクリエイティブディレクターとして地域おこし協力隊に参加し、実施中のアートプロジェクトでの作品。
亘理町でアートプロジェクトを取り組むにあたって最初に考えたことは、自身と亘理町との重なりについてだった。私は兵庫県神戸市出身で、6歳のころ阪神淡路大震災に被災し、そこから18歳まで神戸に住んでいた。被災したのが幼い頃だったことや幸いにも、親族への影響が少なかったこともあり、「そういえば、自分も被災者だった。」と思うくらいにその感覚が薄れていたことに気が付いた。忘れることは良い側面もあるし、悪い側面もあると思うが、亘理も神戸も、日本にいるかぎり自然災害とは常に背中合わせだ。そんな中でどう暮らしていけるだろうか。暮らしの中に見つめ直すべきものがあるように感じた。
亘理町に新しく居を構えてまず何をしようかと考えた時に、日々どんなことを感じたのか記録していった方がいいのではないかと思った。記憶は薄れ、良いことも悪いことも忘れていく。特に記憶力が悪い私に、「それって、逆にいうと今を生きているってことだね。」と久保田は言ってくれた。であればと、1日1枚今、自分が心を動かされたこと、初めて知ったことや感じたことを一言を添えた絵日記にして暮らしの経過を残すことにした。
珪化木とは、樹木が化石になったものだ。木の化石には他にも石炭があるが、石炭は木から水分が抜けて炭素だけになったもののことを言い、別名を炭化木という。一方、珪化木は樹木の細胞が地中で長い時間をかけて珪素に置換されたもので、樹木の組織を残しながらゆっくりと珪化していく。
自分が感じた日常の中にあるキラッと光るものが、もしかしたら誰かも同じように感じたり、気づきになることもあるのではないか。正真正銘、亘理町の暮らしの中での体験ではあるが、場所も、時間も、超えて残っていくものかもしれない。時間の積み重ねが生み出した美しい珪化木に思いを馳せながら、自分が過ごした時間を結晶化していく。
2024年2月 魚住 英司
KEIKA BOOK