宮城県亘理町でクリエイティブディレクターとして地域おこし協力隊に参加し、実施中のアートプロジェクトでのリサーチ展示。
プロジェクトへの参画が決まってから私と久保田は、鳥海公園周辺にどのような法的制限がかけられているのか、条例としてどのようなことが定められているのか、また亘理町の地理的な特徴は何か、過去にわたる歴史的な背景はどんなことがあるか、といった土地の全体像を掴むためのリサーチ活動を始めた。数値として表現される定性的な特徴を文献やwebで調べると同時に、町の観光課の方や郷土資料館の方々に何度もヒアリングを重ねていった。そのうち私たちが興味を持った事柄に詳しい町民の方を引き合わせていただき、今度は町民の方からヒアリングと称して交流が始まり、親しくなっていった。そんな亘理での 体験を少しでも記録しておこうと、久保田は『亘理在住解体記』を、私は心に残った言葉や連想した思考を1つ1つカードに記した『パーソナルなカードメモ』を取っていた。
そんなバラバラで雑多な思考たちが、ある出来事をきっかけに久保田の中で1つのエピソードへと束ねられていった。 かつて亘理で木造船を手作りで製造されていた元船大工の佐藤さんにお聞ききしたお話に沿って、亘理を歩いていた時、まるで白昼夢を見ているかのように一つのイメージが頭から離れなくなったという。彼女はその光景を絵と詩という形に残した。そして何気なく活動報告としてinstagram にその絵を投稿したところ、驚くべきことに一人の亘理町民から連絡が来た。 東日本大震災の津波で夫を亡くした福島さんがみた夢の情景と、久保田の描いた絵が酷似していて、いてもたってもいられず連絡をくれたのだ。 亘理に潜り込もうとした私たちの心の奥と、ずっと亘理に住んでいる彼女の心の奥が、1つの場所を介して、挨拶もなしに急に重なってしまった瞬間だった。もしかしたら夢が脳の無意識的なデフラグの整理であるのと同じように、同じ土地で暮らしその土地に潜り込んでいるとき、私たちもまた共有夢のようなものを見ることができるのかもしれない。その曖昧で繊細な”きらめき”のようなものを作品を通じて伝えられるのかもしれない。
わたしたちが亘理と重なって紡ぎ出した”きらめき”は、また誰かにとっても " きらめき " に違いない。この亘理の地で、誰かにとって「渡に舟」 だと思えるような作品づくりをしていきたい。そんな私たちの決意表明と共に、そのことに気づかせてくれた制作プロセスを町の皆さんが追体験できるよう、制作風景をそのまま持ってきたかのようなインスタレーション展示を行なった。この展示のきっかけになったエピソードをキーパーソンとなった元船大工の佐藤さんと絵を探していた福島さんそれぞれにお話をすると、実は以前は近くにお住まいでお互い顔見知りだったことがわかった。しかし地震をきっかけに引越しをしてしまい、 顔を合わせる機会がなくなってしまったこともわかり、新聞社の取材という形でお二人と私たちで対話する場を設け、当時のお話や亘理町についてさらに知る機会に繋げることができた。この展示が亘理町での初めての展示だったこともあり、アーティストとはどんなことをしているのか?どんな風に町と関わっていくのか?そのコミュニケーションの場として展示を活用したが、見ていただいた町民の皆さんには小難しいことは置いておいて、1つでも好きな絵が見つかったり、1つでも心に残る言葉を見つけてもらえれば、それこそが”わたりに舟”になるはずだ。
わたりに舟