宮城県亘理町でクリエイティブディレクターとして地域おこし協力隊に参加し、実施中のアートプロジェクトでのインスタレーション作品。
地域おこし協力隊として亘理町に移住して3年が経つ。「興す(おこす)」とはひっそりとしていたものを目立つ状態にしたり、衰えていたものを再び勢いづかせる、という意味だ。何も知らない土地で、いわば余所者とも言える私たちがものづくりを通して本質的に地域を「興す」こととは一体どういうことなのか問い続ける日々だ。
しかしながら不思議なことに亘理町に本格的に移住してから「暮らし」と「ものづくり」がひとつの巡りとなるには、それほど時間はかからなかった。赴くまま町を歩けば気になった人や物や場所にご縁ができ、自然とものづくりをするようになった。その制作物によってまた新たな出来事に導かれ、またものづくりに至るという不思議な巡りができたのだ。亘理を想う時間はもはや仕事や生活、制作のためのものではなく、呼吸を整えて、物事との実直な出会いを味わう人間的な時間となった。
物事との出会いにこれほど味わい深い喜びを感じることが普遍的、人間的な感覚だと思えたのは、それらが現代における一般的な出会い方とは真逆だったからかもしれない。目的地を定め、効率的にスマートフォンの地図通りに進む能動的な出会い方とは違い、まるで向こう側から我々の方へ物事がやって来るような極めて受動的な出会い方だったのだ。亘理町の地名の由来に阿武隈川を「渡る」というところから、やがて「わたり」になったという説がある。主体性や確実性、計画性が求められる現代社会とは真逆の予測不能な一艘の小舟は、地名そのものが「渡る」という動的な状態である「亘理」そのものかもしれない。地域おこし協力隊としてものづくりにどう向き合うべきか悩んでいた私たちにとって、これらの体験はまさしく「わたりに舟」と呼ぶにふさわしかった。
「わたりに舟」が増えるにつけ、物も増えていった。それらを集積する為に、大きなキャビネットを地元の方に譲っていただくことにした。アパートのアトリエと寝室に挟まれたリビングの中央に設置し、「わたりに舟」に出会った証のようなものが次々と集まった。キャビネットの中で起こるあまりに自然な集積を観察するにつけ、我々にとって「仕事/生活」、「記録/作品」、「制作/遊び」といったありとあらゆるものの境界が溶けていった。そしてこのキャビネットを「わたりに舟案内所」と名付けた。展覧会で発表する「作品」は、いわば氷山の一角に過ぎない。作品を支える地盤には数限りない「わたりに舟」が存在している。しかし、ものづくりは内省的なものであり、紡がれる時間や姿を公開する機会は殆ど無い。地域おこしという観点において、完成した作品そのものよりも何艘もの舟での体験の痕跡を共有しあうことのほうがよっぽど重要であろう。なぜならこの「わたりに舟案内所」は、私が地域を「興す」のではなく、私が地域に「興された」旅路の確かな証拠の集積だからである。一人の人間として土地に「興されて」はじめて、私たちの身体のなかにある自然なリズムが郷土のリズムに呼応していると知る。荒浜の激しい波の動きや、砂を吹き上げる風、たえず変化する阿武隈川河口のかたち、それらの律動が決して自分と無縁のところでおこなわれているわけではない。だからこそ、私たちはその土地に「興され」て、自分を通して故郷を観る。
これからも失うものはあるだろう。しかし亘理では失ったものでさえ新しい地図になり次なる場所へ誘っていく力がある。その力は、郷土という名の強く深くしなやかな碇によってこれからも永遠に流されることはない。
そんな「わたりに舟案内所」が、我が家から多くの人が行き交う場所へ移設し、我々の心を興した「かたちなきもの」を、善きものであれ、悪しきものであれ、どこまでも伝え合い、共に待ち合うことができることをとても喜ばしく思う。
地域おこし協力隊/わたりに舟案内人
久保田沙耶、魚住英司
(文: 久保田沙耶)
わたりに舟案内所